23歳の憂鬱。
2002年1月24日別に今日が誕生日なわけではないんですけど。
23歳といえば、
高校1年生の頃の英語の先生が23歳の女性でした。
自分にも他人にも非常に厳しくて曲がったことが大嫌いな人。黒板のチョークが折れるほど(ほんとに一時間に一本は折ってた・・・)熱く授業しながらも、いつも凛とした空気を漂わせている先生でした。
教師一年目のその先生は、初々しさはあっても新米教師特有の甘さがまるでなく、むしろ厳しかったけど教え方は抜群にうまかった。
近寄りがたい雰囲気はあったけれど。
母校で教師になったその先生は、自分の高校時代を私たちによく語りました。
目の前のセーラー服の私たちを見ながら
自分を重ねていたのかもしれない。
そんな先生を見ながら私は逆に23歳の自分を
想像したりしました。
「正しい女性(ひと)」
これが私の先生に対するイメージ。
このイメージが間違いだったことに気付くのは
卒業する直前。
「正しくなかった」先生を許せなかったのは
あの頃の私が「シシュンキの私」
だったからかもしれないけれど。
23歳の今の私ならわかる、とも言えない。
23歳といえば、
高校1年生の頃の英語の先生が23歳の女性でした。
自分にも他人にも非常に厳しくて曲がったことが大嫌いな人。黒板のチョークが折れるほど(ほんとに一時間に一本は折ってた・・・)熱く授業しながらも、いつも凛とした空気を漂わせている先生でした。
教師一年目のその先生は、初々しさはあっても新米教師特有の甘さがまるでなく、むしろ厳しかったけど教え方は抜群にうまかった。
近寄りがたい雰囲気はあったけれど。
母校で教師になったその先生は、自分の高校時代を私たちによく語りました。
目の前のセーラー服の私たちを見ながら
自分を重ねていたのかもしれない。
そんな先生を見ながら私は逆に23歳の自分を
想像したりしました。
「正しい女性(ひと)」
これが私の先生に対するイメージ。
このイメージが間違いだったことに気付くのは
卒業する直前。
「正しくなかった」先生を許せなかったのは
あの頃の私が「シシュンキの私」
だったからかもしれないけれど。
23歳の今の私ならわかる、とも言えない。
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